これからの情報・通信市場
今日は、時間の合間を縫って「これから情報・通信市場で何が起こるのか、2010年版」を読みました。2011年版は借りられていたので、一年古いって言うのはご愛嬌です。
- 作者: 野村総合研究所情報・通信コンサルティング部
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2009/12/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これから情報・通信市場で何が起こるのか ―IT市場ナビゲーター2011年版
- 作者: 野村総合研究所情報・通信コンサルティング部
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2010/12/24
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二つ思ったことがあります。
1)クラウドについて
2)メディアコンテンツについて
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クラウドが将来必然的なのは「必要な時に、どこでも、誰でも、必要なモノを、必要なだけ利用する」という当たり前の価値が実現出来るからです。セキュリティ問題で実現に時間はかかるかもしれないけれど至極自然な流れです。逆らえません。では、データセンターの構築が飽和し、クラウドコンピューティングが社会基盤として定着した”次”の価値を生み出すのは何か? と考えたところ、個人的には「端末」にあると思いました。
過去に戻るのか?って感じですが、コンピューティングに関する基盤技術、インフラがグローバルで展開してしまっては、これ以上の新しい開発要素はかなり限定的になります。すると、サービスでの差別化「どの情報を取ってきて、どのように伝えるのか」ということにフォーカスせざるを得なくなり、結果的にその窓口となる端末の開発が進むような気がします。
じゃあどんな端末? って話になるとうーんわからん。になってしましますが、なんとなく音声入力を中心として端末ではないかと思います。古典的なイメージだと、電話で「こうこうこんなことが知りたい、やりたいんだけどー」って感じでしゃべると、電話の先のコンシェルジェが「こうしたらいいんじゃないでしょうかねー」って必要な情報を自分の周辺にある表示端末(PC、テレビ、携帯など何でもOK)で表示しながら教えてくれる感じです。
前置き(状況説明)の煩わしさを低減するために、GPSや更に粒度の高い位置センサーで自動的に音声入力とともに周辺情報を送ったりして、現在のスマートフォンなどの表示端末の入力精度・利便性に近づいていくと思います。また、電話の先のコンシェルジェは、もちろん機械(コンピュータ)が主で音声認識と解析が行われると思いますが、単に凡庸なコンシェルジェ「人」を有能にするためのサポートツールとしてのみ使われるのでもいい気がします。
コンピューティングのくせに「人」を使ってるやん、って思う人もいると思いますが、これから更に続く生産技術の進歩、と、人口増加によって機械よりも人を使った方が安いじゃんって時代もあながち来ないってわけでもなさそうです。人間自体も、コンピューティングシステムの一つとして使われる時代になる悲しい未来があるかもしれません、、、
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そしてメディアコンテンツについてですが、(1)日本社会の未熟さ、(2)将来俳優がいなくなるんじゃね? の2点が浮かびました。まず、日本社会の未熟さですが、無料でコンテンツの恩恵を受けることに慣れすぎている気がします。もちろん広告料を介して結果的にお金を払っているのですが、コンテンツを評価したときに身銭をその場で出す環境(文化)をもっと整えないいけないと思いました。
例えばテレビの話ですが、ネット配信だの多メディア化し、かつ、不況もあって広告収入は減っています。そしてテレビ番組のクオリティは残念ながら目に見えて落ちてきています。そういった番組のクオリティが落ちてきた場合に、落ちないように支える仕組み(端的に言うとコンテンツを享受する視聴者がお金を好きな番組の製作サイドに直接渡す仕組み)がない気がします。
外国では、良いものには、有形、無形とわずお金を直接払う意識が高いです。日本人はどこか、芸術に対して距離をおいて、自分からさらに価値を高める活動に参加しない気がします。芸術家に甘えすぎ、とも取れます。これでは、海外勢にエンターテイメントとしてエッセンス、着想だけ抜き取られてビジネスとして先行され、大元の芸術家もすぐに追いつき、追い越される事が目に見えています。
日本経済の停滞=>日本のメディアコンテンツの停滞がダイレクトに響くこの構造が何より悲しいです。
あと、将来俳優がいなくなるんじゃね? について。多メディア化し、かつ、個々の企業がITを駆使した独自のマーケティング法を構築することで、一つのコンテンツに対して多くの広告費が入ることは更になくなるでしょう。そうすると、一つの番組にかけるお金も削減せざるを得なくなります。現在でも資材費(機材、セット代とか)はCG化で削減可能である。じゃあ、次は人件費?ってことになる。俳優だって、CGでも十分ってぐらい技術は進歩できるんじゃないでしょうか。
そしてオールCGだと、日本で作った作品をちょっとアレンジして、背景を買えたり、登場人物の格好をかえたりして、別の国で放送できるようになるかもしれません。少しの費用でローカル番組もグローバルコンテンツに変換できる時代(メディアコンテンツが世界を土俵として戦わなければいけない時代)が来たときに、日本が勝負できるのか心配です。